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2008年04月27日
コラム:「石の上にも十二年」

最下鈍の者も、十二年を経れば、必ず一験を得。
これは、日本天台宗の最澄(伝教大師・767~822)の言葉です。
一つのことをやり遂げる決意を促した有名な諺に、「石の上にも三年」というものがありますが、最澄の言葉は、それよりも9年も長い。それは、「最下鈍」の者だからでしょう。
ともかく、この言葉は、「石の上にも…」と同じ、あるいはそれ以上に、一つ事を倦まず休まず続けていくことの困難さ、大切さを説いたものです。
さて、お釈迦さまの弟子に、周利槃特(しゅりはんどく)という人物がいました。彼はお釈迦様の弟子の中で最も愚鈍な者だったといわれています。どれ位、愚鈍であったというと、しばしば自分の名前も忘れる程だったそうです。
そんな周利槃特ですから、お釈迦様の教えなど覚えられるはずもなく、修行は一向に進みません。それを見かねたお釈迦様は、周利槃特に一本の箒を与えて、常に「塵や垢を除け」と唱えながら、お寺の掃除を言いつけました。
周利槃特は、愚鈍ではありましたが、生来、とても生真面目でした。お釈迦様の言いつけを守り、「塵や垢を除け」と唱えながら、一心に掃除を続けました。
そうして何年、何十年もの月日が流れ、ある日、ついに周利槃特はお悟りを開くことができました。まさに「苔の一念、岩をも通す」です。
また、明治時代に、洞宗令聡(とうじゅうれいそう・1854~1916)という禅僧がいました。洞宗もまた、周利槃特と同様に愚鈍な人物でした。
しかし、洞宗は、自分の愚鈍さをよく知っていました。そして、洞宗は、自分のような愚鈍な者は人並み以上の修行をしなければ一人前にはなれないと、陰徳の行を積むことを自らに課しました。
例えば夜中、皆が寝静まった頃、洞宗は修行仲間の草履や下駄の鼻緒を修理し、食事をするときには進んで給仕を買ってで、食事が終わった後は、後片付けに余念がありませんでした。
そして、仏前に向かって、常に「願わくば私をして陰徳を積ましめたまえ」と誓ったと言います。
その甲斐あって、やがて洞宗は師に認められて師の後を嗣ぎ、引き継いだ寺院を師の時代以上に繁栄させました。
このように、たとえ愚鈍な者であっても、一つのことを心に決めて、それをやり通すことができれば、必ず何らかの結果を得ることができるものです。
しかし、小利口な人物は、楽をすることばかりに頭を働かせて、結局は大成しないものです。たとえ愚鈍ではあっても、一つのことをやり遂げる根気があれば、小利口な人物よりも良い結果を残すに違いありません。
どんなことでも投げ出さなければ、きっとその先には美しい景色が広がっていることでしょう。
2008年04月24日
おすすめ書籍:横山紘一『十牛図入門―「新しい自分」への道―』

人生とは、逃げた牛を探すことだった。
室町時代に中国から伝わり、日本人が夢中になった不思議な十枚の絵がある。逃げた牛を牧人が探し求め、飼い馴らし、やがて共に姿を消す―という過程を描いた絵は十牛図と呼ばれ、禅の入門書として知られる。ここでは、「牛」は「真の自己」を表す。すなわち十牛図とは、迷える自己が、自分の存在価値や、人生の意味を見出す道程を描いたものなのだ。禅を学ぶ人だけでなく、生きることに苦しむすべての現代人を救う、人生の教科書。
幻冬舎新書 760円
あなたは「牛=真の自己」を見つける旅の、どの段階にいる?
第一図「尋牛」(逃げた牛を探す)→自分とは何かを探究する。
第二図「見跡」(牛の足跡を見つける)
第三図「見牛」(牛を発見する)→偽りの自分が薄れ、真の自分が顕わになる。
第四図「得牛」(牛を捕まえる)
第五図「牧牛」(牛を飼い慣らす)
第六図「騎牛帰家」(牛を飼い慣らし、牛と一つになる)→真の自分に満足できるようになる。
第七図「忘牛存人」(牛を忘れて自分だけになる)
第八図「人牛倶忘」(全てが空になる)→「ゼロの自分」を知る。
第九図「返本還源」(大本に還る)
第十図「入廛垂手」(迷える童に手を差し伸べる)→他者の幸福のために生きる素晴らしさを知る。(本書より、取意)
*本書は、禅の入門書として有名な『十牛図』を、仏教の唯識思想の専門家である著者が解き明かしたものである。
著者は、これまでも度々、十牛図の解説書を著しておられます。今でも容易に手に入るものとしては、『十牛図・自己発見への旅』(春秋社)を挙げることができます。本書は、これらの成果を踏まえて、より一般向けに易しく『十牛図』について説いたものと言えましょう。
そもそも『十牛図』は、牛飼いの子供と一頭の牛を中心とした十枚の絵に解説が附された、非常に簡潔なものです。
『十牛図』は、禅の修行と悟りの関係を表現した、取っ付きやすいものとして、古来珍重されてきました。これは、禅の修行のプロセスを十段階に分類して説いたものです。その意味では、本来は禅の修行者に向けて著されたものと言えましょう。
『十牛図』の圧巻は第八図以後です。それまで登場していた牛飼いと牛の姿は画面上から消え去り、ただの円、一本の花、そして布袋さんと牛飼いの姿(テキストによっては布袋さんだけのものもあります)だけが描かれます。そして、第十図に表された境地こそが、禅者の最高の境地とされます。
しかし『十牛図』は、本来は禅の修行者向けに著されたものとは言え、端的に言えば「自己の深まり」を追求したものですから、一般の方が読んでも啓発される点が多いと言えましょう。
特に第八図は、宗教的には「回心」を表現したものです。「回心(「えしん」。「かいしん」とも)」とは、「ある動機から精神的変化を起こし、いままでとは全くことなる精神世界に入ることを意味する」(平凡社『哲学事典』)ということです。「改心」と理解しても良いでしょう。
最近の、前世とか、守護霊、オーラといったものに興味を持つ「スピリチュアル」を好む人々に最も欠けているのが、この「回心」ということです。端的に言えば、江原啓之的世界観を好む人々のことと言えば良いでしょう。
心理学者の香山リカ女史は、『スピリチュアルにハマる人、ハマらない人』(幻冬舎新書、2006年)において、こういった類の人々の精神性について分析を加え、彼らは自分にだけに興味を持つ、極めて自己中心的な人々なのだと結論づけます。そしてそれ故、「スピリチュアル」は宗教とは似て非なるものと断言します。正しい宗教は、「利他主義」を標榜するからです。
本書は、こういったスピリチュアルブームを意識して著されたものと言えるでしょう。
著者は、最後に次のように述べて筆を置きます。
「日常生活の中で、例えばお年寄りが重たい荷物を持って歩いている。さあ、どうぞ、と無心に無私に手を差し伸べる、その行為が、気がついてみたら自己を深層から浄化して、自由に爽快になっていくのです。
自己を放棄して他者のために生きる生き方、すなわち菩薩として生きるところに、真の幸福があると、私は最近強く確信するようになりました。
〈ロウソクのごとくに燃えながら燃え尽きて生きよう〉と他人に言いつづけて、また自分にも言い聞かせて、怠惰な身に鞭打って勇気をふるいおこすことにしています」。
迷いから、苦しみから本当に逃れるには、それなりの苦労をしなければなりません。それなりの過程を踏まねばなりません。「スピリチュアル」のように、「ありのままの自分を受け容れる」とか、「癒される」というだけでは、本当の苦しみの解決にはならないのです。
さて、他にオススメの『十牛図』の解説書に、以下のものがあります。是非、あわせて御覧下さい。
上田閑照『十牛図を歩む―真の自己への道』(大法輪閣、2002年、2400円)
→哲学的見地から述べられたもの。わかりやすい。
山田無文『十牛図―禅の悟りにいたる十のプロセス ―』(禅文化研究所、1982年、2100円)
→禅の老師による解説。
上田閑照・柳田聖山『十牛図―自己の現象学―』 (ちくま学芸文庫・筑摩書房、1992年、1050円)
→学術的なレベルで『十牛図』を学びたい人にオススメ。
西村惠信『私の十牛図』(法蔵館、1988年、1800円)
→エッセイ集。
etc
2008年04月20日
コラム:「一枚の菜っ葉」

一茎菜(いっきょうさい)を拈(と)りて
丈六身(じょうろくしん)と作(な)す
これは、道元禅師の『典座教訓(てんぞきょうくん)』の中の言葉です。
『典座教訓』の、この言葉が見える一段は次の通りです。
「典座(=料理番)が、心をはげましてつとめる、道を求める心のはたらきの様子というものは、昔のすぐれた徳のある人たちが、たとえば三銭のお金でごく普通の料理を作ったとしても、いま私は、同じ三銭のお金でもすばらしい料理を作ってみせるというようなものである。このようなことをするのは大変難しいことである。…一本の野菜を手に取り、一丈六尺(=360cm)の仏の身として用い、じゅうぶんに活用し、また一丈六尺の仏身を一本の野菜にこめて、これを大切に用いることができるのは、これこそ本当の神通力というものであり、また典座の自由自在なはたらきでもあり、仏としての仕事である教化でもあり、またすべての人々を利益(=たすける)することでもある」(講談社学術文庫『典座教訓・赴粥飯法』p.51~52)。
飽食の時代と言われる昨今、一日に大変な量の食材が生産され、また確実にその何割かが残り物として廃棄されています。
また、ファーストフード店やコンビニエンスストアでは、ほんの少し賞味期限が過ぎたものでもゴミとして捨て去られていきます。その一方で、環境保護が声高に叫ばれてもいます。何ともおかしなことです。
そんな時代ですから、家庭での料理も、食材は粗雑に扱われているのではないでしょうか?皆が皆、見かけが綺麗で高級な食材を口にしたがる時代です。一見綺麗に見える野菜でも、ちょっと汚れた所を見付ければ、すぐにゴミ箱行きになっていることでしょう。
ここで引用した、道元禅師の『典座教訓』の中に、次のようにも言われています。
「たとえ粗末な菜っ葉を用いてお汁物やおかずを作るときでも、これを嫌がったり、いい加減に扱ったりする心を起こしてはならないし、また、たとえ牛乳入りのような上等な料理を作る場合でも、それに引きずられて喜んだり、浮かれはずんだりする心を起こしてはならないといわれている。…一見粗末な品物を扱うことがあろうとも、決して怠りなまけるような心を起こすことなく、また、上等な材料を用いて料理を作ることがあったとしても、一層おいしい料理を作るようにつとめるのである。決して品物のよしあしに引きずられて、それに対する自分の心を変えたり、人によって言葉遣いを改めたりしてはならない」(『同上書』p.47)。
資本主義の社会では、お金が大変な価値を持ちます。お金があれば、どんなものでも買えることでしょう。食材で買えないものは無いほどです。しかし、それで本当に良いのでしょうか?何か大切なものを失っていないでしょうか?
近年、学校給食で、子供に「いただきます」と言わせないでくれと抗議する親がいるそうです。理由は、お金を払っているのだから給食を貰うのは当然の権利であり、「いただく」訳ではないからだそうです。
何とも情けないことです。
小説家の水上勉氏は、『土を喰う日々』(以前に「おすすめ書籍」の中で紹介しております)という書の中で、次のように言っています。水上氏は、少年時代、禅僧の卵として禅寺の中で暮らしておりました。それ故、禅に造詣が深い。
「道元さんという方はユニークな人だと思う。『典座教訓』は、このように身につまされて読まれるのだが、ここで一日に三回、あるいは二回はどうしても喰わねばならぬ厄介なぼくらのこの行事、つまり喰うことについての調理の時間は、じつはその人の全生活がかかっている一大事だといわれている気がするのである。
大げさな禅師よ、という人がいるかもしれない。たしかに、ぼくもそのように思わぬこともないのだが、しかし、そう思う時は、食事というものを、人にあずけた時に発していないか。つまり、人につくってもらい、人にさしだしてもらう食事になれてきたために、心をつくしてつくる時間に、内面におきる大事の思想について無縁となった気配が濃いのである」。
先の親は、お金でしか物事を考えられない心の貧しい人なのでしょう。きっと、その方の家の食卓には、スーパーでの出来合いのものが「豪勢に」並んでいるに違いありません。そんな環境で育てられた子供が、果たして正しく成長するでしょうか?
また、水上氏は、自らが育てた大根が、やせ細り、曲がった粗末なものだったことを通して次のように話しています。
「ぼくの今年の軽井沢の大根ときたら、出来がわるかったのだ。忙しかったために、よく畝を耕さなかったせいもあるが、天候のかげんもあって野菜も面喰らったのだろう。…ぬいてみると、肩のあたりはそうでもないがひょろりとやせて、尻尾はトカゲのそれのように細い。
〈ダメだなあ。春から楽しみにしていたのに〉とぼくは客にいった。〈これじゃ、おろしぐらいにしかなりませんね〉と客もいう。なるほど、輪切りにして、油揚げと煮てみるのだが、どこやらシコリとにがみがのこる。芯にスもある。これでは客に出せぬ。そこでいわれたとおり、おろし金ですってみる。
なんと辛かったことよ。しかし、その辛さは独得の味だった。めしにのせると甘くなって舌をひたした。昔の大根だった。いや、ぼくらがわすれてしまった大根の味なのだった。いまの大根は、なりは立派だが水っぽくてそっけない。こころみに、それをおろして見給え。どこやら薄味の、間の抜けたところがないか。ぼくは、一見してはなはだ出来のわるい姿とみた大根が、しっかりと、辛さだけを、独自に固守していたことに感動した。都会人にすれば、姿もわるいから、捨ててしまうぐらいのものだろう。もっとも、お百姓が、こんな大根を荷出ししていては、市場も買うまい。規格にはずれる駄物大根に、本当の味がのこっていたと知るのはことしのことだが、この時も、前記の『典座教訓』を思った。まことに〈一茎草を拈じて宝王刹を建て、一微塵に入って大法輪を転ぜよ〉である。出来のわるい大根を、わらう資格はぼくらにはない。尊重して生かせば、食膳の隅で、ぴかりと光る役割がある。それを引き出すのが料理というものか」。
一見、使い物にならないような野菜でも、すこし工夫すれば大変に価値のあるものとなります。野菜でさえそうです。たとえば人間ではどうでしょうか?
日常の営為たる料理のことといって軽んじてはいけません。些細なことから、とても多くのことを学ぶことができるのです。
2008年04月13日
コラム:「学ぶことの意味」

「心を直さぬ学問して 何の詮かある」
これは叡尊(えいぞん)の『聴聞集』の中の言葉です。
叡尊(1201~1290)は、鎌倉時代中期に活躍した律宗の僧です。戒律を復興し、奈良の西大寺を中興し、殺生禁断・慈善救済・土木事業などを行って、被差別者から天皇にいたるまでの幅広い人びとから、篤い帰依を受けた仏教者です。
さて、叡尊の上記の言葉について考えてみましょう。
叡尊は、上記のように「心を正さない学問に、いったいどんな価値があるものか」と問いかけます。
では、そもそも「学問」とは一体何でしょうか?
一般に、学問とは「知識を得ること」と解されています。事実、学校では、九九を覚え、公式を覚え、漢字を覚え、単語を覚え、年号を覚えるなど、知識を増やすことを中心に学びます。
しかし最近では、こうした「知識を増やす」教育を「詰め込み」と批判し、「ゆとり教育」を実施しましたが、かえって子供達の学力の低下を招いたとして、現在では見直しの方向へ向かっています。
さて、学問の定義は様々だと思います。知識を増やすことを否定して、ゆとり教育が実施されましたが、知識を増やすことも必要なことです。それは、知識が増えることで様々なことを知るようになり、またそれによって考える力を増進させることにもつながるからです。そもそも単語を知らなければ英会話もできませんし、漢字を知らなければ本も読めません。
しかし、本当に学問をする「目的」とは何でしょうか?良い学校に入ることでしょうか?良い会社に入ることでしょうか?
確かにそれらも立派な目的ではあります。良い学校では、良い仲間や教師に出会えます。良い会社に入れば、社会的にも認められ、生活もそれなりに余裕のあるものとなるでしょう。
一方で、良い大学を出て、良い会社に入った人が、悪事に手を染めたり、ストレスで精神的な病に罹ることも近年、珍しくはありません。一般に良い成績を収め、周囲から「良い子」に見られていた子供が、その心の中に闇を抱えていて、驚くような事件を引き起こすことも、最近目だつ傾向です。彼らにとって、学問とは一体、何だったのでしょう?
叡尊は、学問をする目的を、明確に「心を直すこと」と定義します。叡尊は、学問をする人の心を問題とするのです。
人は、知識を得ることで、より人格が陶冶されなければなりません。正しく生きる道を学ばなければなりません。漫然と良い学校や良い会社に入ることが人の幸福につながらないことは言うまでもありません。人生の目的は他にあると言えましょう。
中国の宋代の禅者の大慧宗杲(だいえそうこう)は次のように言っています。
「高級役人で、たくさんの本を読んでいる(=知識を詰め込んでいる)人は迷いが多く、あまり本を読んでいない(=知識を詰め込んでいない)人は迷いが少ない。役人として出世しない人はエゴが弱く、出世する人はエゴが強いものだ。俺は頭が良いんだと自分で言うが、わずかでも利害がかかわることとなると、頭の良さはどこかへ行ってしまい、ふだん読んでいる本の一字も役に立たない。それは学問の習いはじめから間違っていて、富貴を勝ち取ろうとするばかりだからなのだ。〔しかも、そのうちで〕富貴を〔現実に〕手に入れる人は一体どれ程いることか。ぜひ志向をクルリとかえて、自分の脚下(=心)に向けなさい」(『大慧書』「呂郎中に答える〔手紙〕」)。
大慧の指摘は明確です。頭が良いと自負する人ほど、利害得失にかかわることに出くわすと、自分を見失うものなのだと、そして、その原因は、学問を志した態度に問題があるのだと言っているのです。
人間として身に付けねばならない優しさや正しさなど、様々なことを経験し、学んでいくことが、学問の本当の姿ではないでしょうか?
知識偏重の教育体制を反省して施行された「ゆとり教育」も、本来はそちらの方向を目指したのでしょう。しかし「よい学校に入る」だけを目的とする学問への姿勢が改まらないまま施行されたために、「ゆとり教育」は見直しを余儀なくされたのではないでしょうか?
今こそ、心を直すという学問本来の在り方に立ち返る必要があるのではないでしょうか?
2008年04月06日
コラム:「我を生む者は父母、我を成す者は朋友」
これは唐代の禅者、百丈懐海(ひゃくじょうえかい)の言葉です。
百丈懐海は、「清規」(しんぎ)と呼ばれる、修行僧達の生活規律を定めた禅者として有名です。
また「一日作ささざれば一日食らわず」という言葉を残したことでも有名です。
百丈和尚は、老齢になっても一日たりとも労働をやめようとはしませんでした。そのような百丈和尚の身体を心配した弟子達は、こっそりと百丈和尚の仕事道具を隠してしまいました。流石の百丈和尚も、道具が無ければ労働は出来まいと、弟子達はそう考えたのでしょう。なんと師匠思いの弟子達でしょうか。
しかし弟子達の意に反して、百丈和尚は食事を取らなくなりました。そこで口にしたのが、上記の言葉です。
禅は日常を大変に重視します。日常の中に悟りに到る契機が転がっていると考えるのです。いえ、日常生活を正しく生きることが、そのまま悟りの姿に他ならないとまで言います。
百丈和尚は、身を以て弟子達にそのことを伝えようとしたのでしょう。
さて、今週の言葉です。
この言葉は、百丈和尚が、いつまで経っても大成しない一人の弟子が、友人の誘いで別の師匠の下へ移ろうかどうかと迷っていた時に発した言葉です。そして、この言葉で弟子は友人の誘いに従うことを決意し、やがてひとかどの人物となって行くのです。
この弟子は、百丈和尚とは残念ながら縁が無かったのでしょう。師と弟子との間にも相性というものがあるのです。しかし、それを修行の途中で互いに認めることは、なかなかに困難です。しかし、百丈和尚は、この弟子が自分とは縁が無いことを悟って、別の師の元に送り出したのです。なんと寛大なことでしょう。
自らをこの世に生みだしてくれたのは両親です。そして、一定の年齢まで暖かく庇護して育ててくれるのも両親でしょう。これは修行上でも同じことです。この場合、親とは師匠のことです。
しかし、ある一定の年齢になれば、子供や弟子は、親や師の元から離れねばなりません。いつまでも親や師の元にいれば、甘えも生じるでしょうし、いつまで経っても独り立ちできません。一方、親や師の側も、いくら可愛い子供や弟子であっても、一定の時期がくれば手放せばなりません。それがむしろ愛情なのです。親は親で、師は師で独り立ちせねばならないのです。
この言葉は、むしろ独り立ちした、あるいは独り立ちしようとしている人へ向けた言葉と言えるでしょう。
ここでいう「朋友」とは、具体的には修行上の仲間のことです。むしろライバルと言っていいような仲間です。
どんな道に進んでも、友人はできます。しかし、本当に自らを磨いてくれる友人とは、傷をなめ合うような仲間ではなく、むしろお互いに切磋琢磨し合うライバルと呼ぶべき仲間でしょう。
そんな友人は、優しい言葉だけではなく、時には忌憚なく厳しい言葉も浴びせかけることでしょう。しかし、それが本当の思いやりなのです。
4月は新しい出会いの多い時期です。たくさんの人との出会いに感謝すると共に、その中から、是非とも一生涯つき合って行くことの出来るような、そんな友人を探し出しましょう。
しかし、それには、まずは自分が懸命に努力することが必要です。いい加減な生き方をしていれば、いい加減な仲間しか周囲には集まってこないでしょう。精一杯努力したり、精一杯悩んだりする中で、本当の友人は見つかるものなのです。
友人は、何ものにも代え難い、人生の宝なのですから。
