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コラム:硯箱
晋山式に前後して、諸方より様々な贈り物を頂きました。そのひとつひとつに贈って頂いた方の気持ちがこもっていて、本当にうれしく、また有り難く感じております。
今朝もひとつ、東京のお寺のご住職様から贈り物を頂戴いたしました。包みを開いてみますと、中には東信濃の伝統工芸である軽井沢彫の立派な硯箱が入っていました。
早速お礼の電話をいたしますと、その和尚様から次のようなお話を聞かせて頂きました。
「僕が住職になった時、硯箱が無くて海苔の空き缶を硯箱代わりに使っていたんだ。けれど、ある時、それを見た近くの和尚さんに怒られちゃって…。
〈お葬式の時にはお位牌にお戒名を書かないといけないだろう。住職が筆をとるのは壇信徒の方の為だ。それなのに、そんな粗末なものを使っていてどうするんだ。〉って。
それですぐに硯箱を買いに行ったんだ。君はそんなことは無いだろうけど、昔のことを思い出して君に贈ろうと思ったんだ。」
私は恥ずかしくなりました。ご多分に漏れず、私の使う硯は机の上に裸で置いたままで埃がかぶっています。筆はボールペンなどに混じって筆立てに立てているだけです。
筆使いは閑栖(かんせい)和尚(=先住職のこと)の方が良いので、これまで筆を使う機会があれば、ほとんど閑栖和尚が筆をとっていました。
それを言い訳にして、キチンと道具を揃えず、またその扱いも非常に乱雑なものでした。
先に日本一になった日本ハムファイターズの新庄選手は、プロの選手になった時に買ったグローブを、大切に15年以上も修理しながら使っていたそうです。だからこそ、あんなに素晴らしいプレーをすることが出来るのでしょう。
道具を粗末に扱う人は、その程度の仕事しか出来ないことでしょう。事実、私の筆はひどいものです。
道具は自分のものではありますが、例えば野球選手にとっては観客に良いプレーを見せるのためのもの、住職にとっては壇信徒のために心をこめた字を揮毫するためのものでもあったのです。
そんな大切なことを、一つの硯箱から教えて頂きました。
この硯箱は、きっと私の一生の宝物になることでしょう。
投稿者 sougen : 2006年11月01日 14:49
