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2006年07月31日

コラム(10):お盆

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8月はお盆の月です。

お盆の正式な呼び方は「盂蘭盆会(うらぼんえ)」といいます。

 お釈迦さまの弟子の中で特に優秀な弟子十人を「釈迦十大弟子」といいますが、その中に神通第一といわれる目連尊者といわれる方がいました。 「神通」とは、いろいろなものを見通せる力のことです。その能力に秀でた方のことを「神通第一」というのです。

 その目連尊者が、ある時、亡くなった母親のことが気にかかり、神通力でその往く先をうかがったところ、なんと母親は地獄で餓鬼になって苦しんでいました。

 餓鬼とは悪業の報いとして飢えに苦しむ鬼のことです。その姿はやせ細って喉が細く針の孔のようで飲食が出来ないうえに物を食べようとすると、その食べ物は口元にくるとたちまちに燃え上がってしまうのです。

 目連は手を差し伸べて母親をその火の苦しみから救おうとしますが、かえって火に油を注ぐように火の勢いが強くなり、母親を余計に苦しめてしまうのでした。

 目連は思いあまって師であるお釈迦さまに母親を救う方法を乞いました。そうするとお釈迦様は深く悲しまれ、目連にこう指示しました。

「お前の母親を助けるには多くのお坊さんの力を借りなければならない。お坊さんの修行期間の終わる7月15日に、『百味の飲食五薬』を供養すれば、お母さんを助けることが出来よう。」

 この話は『仏説盂蘭盆経』という経典に出ているお話です。このお話によってお盆の行事が行われるようになりました。日本では推古天皇の時代606年に寺ごとに斎会を設けたのがはじまりといわれています。

 では何故目連の母親は地獄に堕ちて餓鬼の苦しみを受けるようになったのでしょうか?

 目連の母親は資産家で、沢山の資産をもっていました。目連は、出家するにあたって、全ての財産を貧しい者に施すように母を諭しましたが、母親は我が子である目連にその財産を残すために目連の諭しに耳を貸しませんでした。

 この行為は母の愛から生じた行為ではありますが、母の目蓮への愛は「溺愛」と呼ぶべき行為でもあるのです。この悪業によって、母親は餓鬼道に堕ちたのです。自らへの愛が母を地獄へ陥れる結果となったのです。目蓮の苦しみは如何ばかりでありましょう。


(我々の心が仏であること)  
 私たちは、毎日何気なく過ごし、少しも他人の世話になっていない、迷惑をかけていないと思いがちです。しかし現在の私がここにいるのは、おびただしい数の父母、両親があっての結果で、その一つが欠けても今ここにはいないのです。まさしくご先祖があってこそ今の私がいるのです。親や先祖は、かわいい我が子のために、目連の母親のような罪を犯していたかもしれません。人間はなにかしらの罪を犯しながら生きているのです。

 そのような親や先祖の苦労や苦しみを忘れて生きていることも又、悪業の一つといえないでしょうか。その時に人間は知らず知らずの内に地獄にあるのです。そう考えると恐ろしくなります。お盆に供養するのはご先祖のためにあるだけではなく、今、地獄にいるかもしれない自分を振り返るためにもあるのです。
 
 江戸時代に五百年来不出と言われる名僧であった白隠和尚というお坊さんがいました。その方の所にある武士がやってきて地獄と極楽の在処を尋ねました。すると白隠和尚は、その武士にむかって、

「そんなことを心配するなんて、なんというヘナチョコ侍じゃ。」

と一喝しました。その武士は、それを聞いてカッとして腰の刀を抜き白隠和尚に向かって刀を振り上げました。すると白隠和尚は、

「それ、そこが地獄じゃ。」 

はっと気付いた武士は自分の非礼に青ざめ、ひれふして、

「和尚さま、どうか私の非礼をお許し下さい。」

といって詫びました。すると白隠和尚は、

「それ、そこが極楽じゃ。」

と言ったそうです。

 地獄はあの世にあるのではなく、自分の心の中にもあるのです。ひょっとして、あなたも地獄の中にいながら気付かずにいるのではないですか。他人を憎む心、羨む心、過大な自尊心、全て地獄への入り口なのです。地獄への入り口は時と場所を選ばず、いつでもポッカリと口を開けて待っているのです。お気を付け下さい。

 では極楽への入り口は何処にあるのでしょうか?自らの言動を反省する心、これが極楽への入り口なのです。極楽への入り口もまた時と場所を選ばすにあなたを招き入れるのです。 

 あなたの家にあるお仏壇の中で微笑んでいる仏様の姿、これがあなたの本当の心なのです。皆さんの心の中全てに仏様がいらっしゃるのです。それに気付いて下さい。もし、分からなければ、心を落ち着けて、お仏壇の中の仏様を静かにご覧になり、仏様に向かって静かに手を合わせて下さい。そうすれば心が爽やかになるのに気付きませんか。それがあなたの「仏の心」なのです。

 しかし、普段我々は様々な妄想に引きずられて「仏の心」を見失っているのです。それこそが地獄なのです。
 
  お盆のお参りにまいりますのは、皆さんのご家族のどなたかが亡くなられ、そのお供養のためです。その方はご両親かも知れませんし、ご兄弟かもしれませんし、また、ご主人や奥さんかもしれません。ましてや可愛い我が子ともなれば、悲しみもひとしおでしょう。心中お察しいたします。

 仏教では、四十九日が過ぎるまでの死者を「霊」といい、四十九日が過ぎた、成仏をした死者を「仏」と呼びます。

 では、その亡くなられたご家族は今一体どこにいらっしゃいますか?決して遠く離れた黄泉の国にいるのではありません。皆さんが愛された今は亡きご家族も、全てあなたの心の中で安らいでおられるのです。

 あなたが怒りにうち震える時、あなたの今は亡きご家族はその怒りの劫火に包まれているのです。あなたが貪りの心にとらわれた時、あなたの愛したご家族はその貪りのために餓鬼となって空腹にのたうち回っているです。恐ろしいことです。そしてそのことに気付くこと、これが成仏への道なのです。

 『仏説盂蘭盆経』には、目蓮が僧侶に供養をすることによって、苦しみが除かれた様子を次のように述べています。

「その時、目蓮やその他多くのこの法要に参加している僧侶達の皆が大いに歓喜し、目蓮の嘆き苦しむ声は忽然として除かれた。そして、同時に目蓮の母も、無量の苦しみから脱することが出来たのである。」

 目蓮が自らの存在そのものが母を悪業に陥れたことに気付き、そして、その迷いと苦しみから自らが脱した時、同時に母も地獄の苦しみから逃れることが出来たのです。

お盆とは本来このような意味なのです。

 ご先祖の恩に対して感謝し、自分の行いを振り返るのがお盆です。静かに手を合わせて、あの世にいるご先祖さまのご冥福を祈ると同時に、自分の心の中のご先祖さまの恩にも感謝をしましょう。そうすることによって、お亡くなりになられたあの人が、心の中で微笑んでおられるのにお気付きになるでしょう。

投稿者 sougen : 22:59

2006年07月30日

おすすめ書籍:玄侑宗久『お坊さんだって悩んでる』

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お葬式、お墓、ペットの埋葬問題から、死刑やボランティアへの考え方まで、お寺に持ち込まれる様々な悩みに玄侑和尚が答えます。ややこしい現代を生き抜くための道標となる人生問答集。
 

(目次)
第1章 お葬式とお墓―お寺はお葬式を出すところ。お墓のあるところ。でも現代人にとって、お葬式やお墓はどんな意味があるの?自由な形式に変えるのは悪いこと?
第2章 お布施の値段―「お寺に納めるお金は法外に高い」「意味も解らずに、高いお布施をとられている」など、お金について言いにくい疑問と誤解を、はっきりさせたいのですが…。
第3章 現代社会の生と死―死刑について、自衛隊について、大震災や大事故についてなど、現代の問題をどうとらえたらよいか迷ったとき、仏教ではどのように説いてくれるの?
第4章 お寺の本当の役割―お葬式とお墓のほかに、お寺は何をしてくれるの?
第5章 伝統と習慣を見直す―お寺や僧侶が継承している文化や伝統には、どのような意味があるの?現代でもそれを守ることは必要なの?
第6章 お寺の後継者と檀家―一般家庭でもお寺でも、長男が家を継ぐのが当たり前ではなくなったご時勢。娘の跡継ぎ、後継者の育成など、変化をどのように受け容れたらいい?

書評:赤瀬川原平

861円、278頁、文藝春秋

投稿者 sougen : 23:02

2006年07月10日

講演会:「西宮再発見 文楽を楽しむ!」 御報告

文楽①320mono3.gifphoto:三井博様

多数の御参加を賜り、盛況のうちに無事円成致しました。

既報の通り、7月9日(日曜日)、午後3時より、人間国宝・吉田文雀師を初め、吉田和生師、吉田和右師のお三方をお招きし、当山の本堂において文楽の公演を致しました。

参加者は150人強、門戸を広げた御陰で、壇信徒にとどまらず、老若男女入混じっての、楽しい一時となりました。

当山のあった場所は、かつて文楽の前身となる人形操りを行なっていた人々がいた場所。こうした方々が当山と何らかの関係があったことは間違いなく、また当山の護持に大きな力を持ってこられたことも想像に難くありません。

それ故、まずはこうした方々への御供養をさせて頂き、その後お三方による文楽の公演が始まりました。

文雀先生のお話は人々を引き込み、実演は名人芸!浄瑠璃の音色に合わせて舞われるお三方の動きは、なまめかしくも美しく、感動の一言であったと思います。

最後には参加者の皆様に文楽人形に触れて頂く場も設けて頂き、古典芸能と歴史に身近に触れることの出来た、有意義な時間でした。

また、文雀先生のお話の間、スタンバイしておられた和生師、和右師は、参加者の小さなお子さんをあやす為に、そっと人形を操っておられました。その空気の暖かさは、参加者の皆様の心を和ませる、貴重な出来事でした。そこに、まさしく今回の公演の意味が集約されていたと思えます。

Fさんのお子さんにとっても、きっと忘れ得ない幼い頃の思い出となったことでしょう。

普段の文楽の公演では、どうしても演者と観客との距離が出来てしまいます。しかし、昔の芝居小屋では、きっとこんな風景が日常的に見られたことでしょう。

これこそが、今回のような小規模の公演の良い所でもあるのです。

これを機会に文楽に、皆様に興味を持って頂き、是非、今度は文楽劇場に足を運んで頂きたいものと思います。

国立文楽劇場
URL:http://www.ntj.jac.go.jp/bunraku/index.html

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開演前

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丁寧な人形の説明

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公演中

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人形に触れる

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小さなお子さんも

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公演後の一コマ


投稿者 sougen : 11:49 | コメント (1)

2006年07月05日

おすすめ書籍:西村惠信『狂雲 一休 ー仮面師の素顔ー』

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風狂を装った前後截断の禅僧「一休」。仕掛けた罠の謎を解く。

「ふと三面鏡の前にたつ一休さんという洒落たことを思いついた。そうだ一休さんが鏡の前に立っていて、その一つ一つを別々に眺めるから訳がわからなくなるのだ。一休さんの実像に接するためには、三枚の鏡から眼をそむけて、その前にいる一休さんその人を直視しなければならないのだ」。(本文抜粋)

宗教哲学をベースに禅を研究してきた筆者による独自の一休論!一休はとんちの一休さんだけではなかったのだ!

四季社、219頁、1380円

投稿者 sougen : 18:27 | コメント (0)

2006年07月03日

行事:西宮再発見「文楽を楽しむ!」

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順心寺では、今後西宮を再発見するために、伝統文化の掘り起こしに努めたいと思っております。

文楽は、当山順心寺のある産所町に住んでいた「散所民」によって始められた、西宮の伝統文化の一つです。

西宮は歴史が古く、多くの文化を生みだした素晴らしい土地です。順心寺は、その西宮にあって750年の歴史を刻んで参りました。
順心寺を支えて下さった多くの西宮の人々への報恩の意味を込めて、順心寺では、今後西宮を再発見するために、伝統文化の掘り起こしに努めたいと思っております。

まず第一回は、開創750年を記念して、人間国宝・吉田文雀師をお迎えし、文楽を楽しむ会を開催致します。

内容は、文雀師による文楽と西宮の歴史の説明、そして実演。実演終了後は、参加者の皆様に文楽により親しんで頂くために、文楽人形の解説に加え、参加者に直に人形に触れて頂く機会も設ける予定にしております。

文楽に親しむ、また人間国宝の名技を間近で見ることの出来る滅多に無い機会です。

どなた様でもお越し頂けます。皆様お誘いあわせの上、奮ってご来寺下さい。

日時  平成18年7月9日(日曜日)午後3時
場所  順心寺本堂
入場料 無料

投稿者 sougen : 17:51 | コメント (0)

2006年07月01日

行事:西宮再発見「文楽を楽しむ!」企画意図について

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 夷かきの図(『摂津名所図絵』より)

当山のある「産所町」は、文楽の発祥の地です。

(由来について)

その昔、この産所町には、「傀儡師」(くぐつ)と呼ばれる、人形操りを特技としながら、戎神社に雑用に奉仕していた人々がいました。

彼らは、平素は様々な雑務に励みながら、一方で、時に応じて人形操りを演じ、多くの人びとを楽しませていました。

くぐつの人々が人形操りを行なった目的は、自らが奉じていた戎神の信仰を広めることでした。従って、彼らの演技を「夷かき」、または「夷まわし」と言っていました。

くぐつのことが最初に見える文献は、平安末期の大江匡房(おおえのまさふさ)が著した『傀儡師記』です。これによると、当時のくぐつは、奇術や軽業などの芸事を行なう「芸能人」でしたが、特に人形操りを「くぐつ」と呼び、これが一番好評であったと言います。これはまた「木偶(でく)まわし」とも呼ばれていたようです。

彼らはまた「散所民」(さんじょみん)とも呼ばれていました。つまり、「散所」が住んでいた場所だから、「産所町」と呼ばれるようになったのです。

また各地に存在する、「三条」や「山上」などという地名も、多く「散所」に由来するようです。その代表的な例が、同じく人形操りの盛んな、淡路の「三条町」です。これは、当地の「散所民」が、干鰯を淡路へ輸出する漁師と共に淡路へ渡り、彼の地に居着いたからだと思われます。

近世に入り、人形操りの文化は、新しく浄瑠璃の音曲を取り入れ、浄瑠璃の語りにあわせて人形を舞わす、という形態に変化しました。これが「文楽」の始まりです。

やがて、浄瑠璃と結びついて成立した文楽は、近松門左衛門の出現によって、演劇として洗練されるようになり、いよいよ大衆演劇として親しまれるようになっていきます。

こうして地方へ広まっていった人形操りですが、それに反比例して、当の西宮での活動はめっきり減少していきました。

産所村にあった操り芝居の小屋は、やがて今在家に移され、後には普通の芝居小屋となります。

そして、明治に入る頃には、西宮での人形操りの伝統は潰えてしまったのです。

今では、NTTの社屋の前に、傀儡師の銅像が佇むばかりです。

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(西宮再発見!)

さて、このような西宮の誇るべき伝統文化の存在を、一体、どれ程の方が知っているでしょうか?

西宮は早い時代から開けていた、歴史のある町です。しかも、漁師たちが市を開いていたこともあって商業都市の面も持ち、また宗教都市でもありました。そして、文楽という世界に誇る文化を生みだした文化都市でもあるのです!

このような西宮の町に我々が住んでいることは、本当に誇るべきことです。

しかし、阪神大震災が発生して既に十年、町の様相も一変し、人々の顔ぶれも一新致しました。一方で、700年以上の歴史を持つ「中央商店街」にはマンションが建ち並び、存亡の危機に陥っています。

時代の趨勢とは言え、一抹の寂しさも感じます。

本年で当山はめでたく開創から750年目を迎えました。開創は鎌倉時代の末期、1256年のことです。その間、当山はずっとこの地に在りながら、町の移り変わりを見て参りました。当山の護持は、ひとえに此の地に住する人々の「想い」の御陰であります。

そのことを思うにつけ、今一度、この町の来し方、行く末を見直す機会が必要なのではないか、と常々考えておりました。また商店街の方々も、このままで良いのかと大きな不安を抱いておられます。商店街の方々もまた、「文楽」をキーワードに、町おこしが出来ないものかと模索しておられました。

こうした中、当山の想いを理解して下さった方に、吉田文雀師を御紹介賜りました。文雀先生もまた、西宮の住民です。そして、過日、文雀先生とお会いし、私の思いを吐露致しました所、大いに意を同じくして頂き、当山で是非、文楽の公演をしようとの話になりました。

文楽の公演を通じて、西宮の伝統と文化を一人でも多く知って頂き、そして各人が誇りを懐き、今後の西宮のあり方を考える契機になってくれればと、願っております。

西宮で生まれ育った方は無論、一時的に西宮に留まっておられる方にも、「自分は西宮に住んでいたんだ」という誇りを持って欲しい、そう願っております。

そして、再び、文楽が当地に根付いてくれればと願ってもおります。

それによって、人々の想いが、広く繋がっていってくれれば、なんと素晴らしいことではありませんか。

その嚆矢となるのが、今回の文楽興行なのです。

どうか、皆様、奮って御参加下さい。そして、自らの住んでいる地に想いを馳せて下さい。

皆様の御参加をお待ちいたしております。


投稿者 sougen : 23:04 | コメント (0)